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第3回年金自主運用検討会議事要旨
1.日時:平成9年6月19日〈木〉 15時 〜 17時
2.場所:厚生省特別第1会議室
3.参加者:・三宅委員 ・貝塚委員 ・黒川委員 ・竹内委員・船後委員 ・水谷委員 ・渡辺委員 ・渡里委員
4.議事要旨
(資金運用部との関係について)
- ○ 自主運用をやるということは、制度的に見るとどういうことかというと、やはり資金運用部への預託義務が無いという意味が非常に重要で、預託義務がないということは必ずしも預託する必要がないということである。財政投融資の全体の中で、原資としての年金はかなり長期の運用で、郵貯と比べるとかなり資金の性格が違うわけだから、年金資金自身はそれに見合った資金の運用があるということは間違いない。資金運用部への預託というのは実質的には自主運用のある部分を占めるだろうが、一番重要なのは、年金サイドでどういうふうにポートフォリオを組んでどの部分を預託に回すといった、どの部分をどのようにするかということである。資金運用部が全体の中でどういうふうに評価されて、年金資金の運用先としてどの程度回すかということが決定されるのが極めて重要なポイントではないか。
- ○ 今後、資金運用部は預託でなく、国債を発行して処理すればよいわけで、そこで今までの財投システムの金とは違って、毎年償還される積立金の7分の1の金が財投から外れ、国債を経由することになる。年金の方は、国債を買うのがテーマになるし、地方債を買うのがテーマになる。マーケットプライスを活用するというのが今回の議論の良さなのに、また預託を残すとなると財投の基準金利を確保しながら、どこか見えないところで一般財源で利子補給するような形が残り、また、困ったときに、そっと後ろから厚生省に声がかかったら、この分だけは預託しましょうということになるのではないか。外部の者にとっては、それが分からないわけだから、そういうことはもう無しにして、財投機関自身が自ら機関債を発行するか、国債マーケットで国が調達するということになるのであれば、今回の議論はすごく価値があると思う。
- ○ 財投がどうなるかということは、単に大蔵省だけの問題ではなくて、ものすごく大きな話で、特殊法人の話も含んでいる。しかし、相当の改革を要することは、当然の認識としてあり、1つの論点は、原資を今までと同じ形で受け入れるのか、それは預託という形なのか、資金運用部が国債を発行して、それをマーケットに出して、それを厚生年金が買うという形にするのか、どれをとるかということである。そこは変えなくてはいけないし、そこが変われば金融システムはかなり変わるというふうに、理解している。預託というのは預金のようなものだから、そういう形態もあり得るし、違う形態もあり得るし、十分変わりうるものである。自主運用は、まさにそういうものであり、財投債を買っても利が乗るかどうかということである。厚生省としては、所管の厚生年金について、こうやりたいとはっきり言うべきだ。遠慮すると、財投全体の改革が遅れることになる。
- ○ 資金運用部との関係については、ここでは預託義務を解除するということだけでいいと思う。アメリカでは、OASDI(公的年金)の積立金は、全額国債投資しなければならない義務があるが、これを解除するということで、諮問委員会の3つの案が出てくるわけである。ここでは預託義務を解除できれば、これは当然自主運用になるわけで、自主運用をどうするかというのがこれからの話になる。
- ○ 私は預託してもかまわないのではないかと思う。今は強制預託であるが、それを自由にすると、結果的には、当初かなりの部分は今までどおり預託になると思う。というのは、運用の担当者としては、現実問題として、今は運用のしようがないし、大変である。これはしばらく続くのではないか。だから、実際にはあまり変わらない。しかし、こちらの裁量で、預託するのか、強制的に預託するのかでは全く違うと思う。そして、これが財投制度全体を揺るがす可能性があると思う。
そうなると、財投見直しが決まってからやりたいという気持ちも出てこようが、やはり横にらみではなく、望ましいことははっきり言って、その結果として財投制度も変えなければならないのであれば、変えればよい。
制度改革が大きな影響を及ぼすのは、そのとおりであり、だからこそ経過措置は当然必要である。自主運用の方が望ましいのであり、経過措置を設ければよい。
- ○ 基本的に預託なし、あるいは預託義務なしというのは、全く賛成であるが、預託も有利ならばやるという意見にも賛成である。ただ、120兆円全て市場で分散投資すればいいが、現実論としては、120兆円がマーケットに流れては大変なことになる。 建前は、もちろん全額自主運用でけっこうなのだが、厚生省の方針を誤解を招かないように言っておかないと、ある意味で大混乱を起こすと思う。なぜ120兆円もあるのに、全部市場運用しないのか、マーケットを混乱させるからやらないという理屈でよいのか。建前は建前でよいが、本音の部分をかなり言っておかないと、そうとう突っこまれる危険性があると思う。
- ○ 過去の資金を資金運用部から引き揚げたら、資金運用部はたちどころに破綻し、その貸付先も倒産してしまう。今も20年とか30年で貸しているわけだから、既存の部分が償還されてきたときに少しずつ自主運用に回し、新規の部分は自主運用して、やがてある時期にかなりはっきりした形で全体を自主運用とする。過渡期は5年か10年かかるかもしれないが、行き着く先はだいぶ姿が変わる。一見したところグラジュアルだが、中味、制度としてはずいぶん変わったものになるということを先に考えておいて、それを予想しながら、自主運用の問題を考えていくのがよい。
- ● 厚生省と大蔵省の間で談合して変なことをやるという心配があるのではないかとか、自主運用をやると、突き上げが厳しくなって、120兆全部やらなければならなくなるのではないかとか、色々御指摘があったが、この点については、我々は徹底した情報公開をやるということを考えているので、いい加減なことをしたら説明がつかない。情報公開を徹底してやり、しかも受託者責任の考え方を導入すれば、そのような説明のつかないことをすることはできないということになる。
(運用結果の責任・負担について)
- ○ メジャーメントの問題がある。つまり、ある程度の規模の金が自主運用されると、今の再計算に沿うような数字になるというふうにはなかなか考えられない。例えば、運用利回りが1%で回った場合、恐らく確定給付型の計算からすると不足額が出る。しかし、ゼロよりはましという意味ではプラスαである。もし、1%で回った、いくらがんばってもここまでというケースで、どう評価するかというようなメジャーメントの問題が残る。その場合に、結果的には足りない分を最終的に保険者が何らかの形で負担することになっても、負担には限界があると思う。限界があるとなると、自主運用の考え方を広げていくということは、今の年金制度の中に確定拠出型というか実績ベースの考え方をどこかでとらなければならないということにもなると思う。つまり、保険というのは、払う人と受け取る人がいる。しかしその実績如何によっては、払う人にも限界がある。したがって、受け取る人にもある程度の限界が来るということを言わなければいけないが、果たして言えるかどうかということである。
厚生大臣はプルーデントマンなのかどうかということ、注意深く、思慮深く、全ての人格を備えている方かどうかという基準が非常に難しい。万が一の場合に私財を売ってくれるとか、何らかの国有財産を処分してくれるとか、何かそういうふうな責任までとってくれるかどうか。そのへんのイメージがやや難しい。
- ○ 現実問題として考えてみると、自主運用をやるとなると、メジャーメント、そして責任論が日本の場合には必ず出てくる。例えば、年金福祉事業団が赤字を抱えたという形になったわけだが、それも資金運用部においておけばこうだったのに、やったからこうなったじゃないかというような批判、時価評価で見ずに実現収益で見るからなおさらそうなると思うが、常にそういう評価にさらされることは間違いない。もちろん、100兆単位でやるとは私も思わないが、何兆やるにしても、誰がやるにしても、預託金利と比較されるかもしれない。財投に預けておけば良かったとマスコミ中心に言うに決まっているわけだから、その時に、まさに厚生大臣が善管注意義務を果たしているといっても、誰も承知しない。そういった意味では、責任を持つ人間、機関というのは、かなり認知されたものでなければ、その責任に耐えられないという恐れが十分出てくる。「長い目で見ればうまくいっているし、善管注意義務も果たしているし、いいじゃないか。」と言える土壌がまだ日本ではできていないと私は思う。そういった意味でも、この運用組織のあり方というのは、相当現実論も重視してやらなければならない。
- ○ 加入者が委託者であり、年金保険を独立採算で行うならば、効率性の観点から、運用そのもののみならず、運用管理業務をも民間で行うことも考えられる。
他方で、年金は国民の生活にとって基本的なものであるから、国の認識と姿勢を示すために、国が保険者として受託者責任を負うという仕組みも考えられる。この場合、管理運用業務に関して一般会計から一定の補助がなされることも正当化できよう。ただし、年金設計の数理的な間違いや運用の失敗を補填するようなことは厳しく避けなければならない。
国が受託責任者になるとき、「国がリスクを負担する仕組みになっている」という誤解を与えるおそれが大きいので、説明等に十分な注意が必要であろう。
- ○ 全体として、年金制度は強制的なものと考えている。どの制度に入るかを国民が選ぶのではなく、初めから強制と考えると、年金は税金と一緒と考えられ、いわゆる国民負担の一部である。制度的には違う仕組みにしていても、それに差はないと思う。
保険料拠出者には、ほとんど責任感はないと思う。これはただの国民ということで、いつのまにか年金に強制的に加入させれられた人達なので、その人達に何かを聞いたら、利益最大化と言うに決まっている。単に個人の集まりの中で、概念として、保険料拠出者概念というのを上手に作ることは難しいし、そこに何か依存するのもすごく難しいと思う。
- ○ 保険料拠出者は、予定されている利回りで予定の年金がいつか受け取れるということに関するある種の契約をしているわけである。ところが現実には、政策の間違いでインフレを起こしてしまったりとかのため、年金を受け取る金額に関しては、政治的にインデックス化されている。厚生年金というのは、政府の一環であり、全体の経済政策の運営責任と、それから経済政策の結果生じることについてまで、この年金の運用の話とどうやって分離したり、あるいは一体にしたりして、責任を考えるかは、そんなに簡単な問題ではないため、できるだけインデックス債のようなもので中立化していくことが必要だ。経済政策の当局が年金に対して、これはこういう形で受け取ってほしいとか、こういう形で預託してほしいとかいうことが裏で起こっているということが分かったら、全く意味がない。預託はもう無くして、マーケットで調達することとし、そのマーケットに出てくるものは、長期でインデックス化されているような債券というものになるべきだ。経済運営と年金を運用している人とが一体となっているところで、どこでどう責任をとるのかというのを、色々な制度とか委員会を作っても、内側でのシステムに過ぎず、保険料拠出者とか外側にいる人を想定して議論するときの責任の取り方ではないのではないか。
今回、保険料拠出者に対する責任という言葉を使い、今までは国という形で、預託と一体だったものを分けた。保険料拠出者に対する責任という意味は、その契約者と年金とが1対1で契約するという世界の中に入っていくわけだから、それを保証するために何かをするとしたら、違ったロジックがそこに生まれてこなければいけないのではないか。
- ○ 年金は強制加入だから、一応、国民全体を対象とするが、むしろ、厚生年金のほうに非常に比重が高いと見ているので、そうすると、対象者というのは、3,900万の集団というふうに考えて、そのグループの問題ではないかというイメージがある。もちろん一般国民でもあるのだが、ウェイトの置き方によって、被保険者集団というもののイメージと厚生省の関係というのが若干違ってくる感じがする。つまり、強制なものだということになると、まさに国の責任というものが非常に重要なのだが、保険ということになると若干違うのではないか。細かいところであるが、少し明らかにしておきたい。
- ○ 受託者責任の内容が、基本的には厚生年金基金と同じであるという趣旨には賛成である。しかし、受託者責任を誰に負っているのかが必ずしも明らかでない。加入員が委託者であるとすれば、運用成績等が予想外に悪く深刻な積立不足が生じた場合、税金(一般会計)からの補填は受けず、給付の引き下げのみにて対処することとなる。つまり、年金財政のリスクは加入員が負担する。この場合、掛金の増額をも考えるならば、拠出者もリスクを負うこととなる。年金は加入者及び拠出者のものであり、リスクは両者が負担するということである。別の表現をすれば、年金のガバナンスは加入者と拠出者にあるということになる。
- ○ 運用については、責任者が先々のわからないことを予想してその裁量でやることになるが、その責任については、非常に追求しにくいと思う。いわゆる善良なる管理者の注意をもって行えば、免責になるのではないか。ただし金額についてどうするかとか、どのくらいのロスが生じた場合には自動的に運用を止めるという、ロスカットの考えが資金運用の場合どうしても重要になる。大きなルールだけは決めておかなければならないと思う。
長期で一番問題なのはインフレへ対応である。そうすると、確定利付きというものではまったく弱いので、運用の中で株式というのが、魅力的になってくる。上がり下がりが出てくるものに投資をするとなると、絶えず博打をやるということで、博打をやるのに売るか買うか決めるわけである。これは役人とか、そういうものとおよそ正反対の世界である。だから、任せなければしようがないと思う。予想の出来ない部分がかなりあって、昨日までと今日は全く違うとか、一時間後にはひっくり返るという世界でやっていくには、後講釈を色々やってもしようがない。そういう点ではある程度こういうものだということも承知した上でやっていかないと、担当者として困ってしまう。
利回りは、いずれの場合でも保証できないと思う。保証できるというのは錯覚であり、現実の経済はそういうものである。あまり責任感旺盛になると、かえって手足を縛られてどうにもならなくなる。
- ○ 厚生年金は、基本的には強制加入である。国民が皆入っていて、それを運用するということが非常に公的な性格を持っていて、その部分が企業年金とはずいぶん違う。フィデューシャリーとかいろんな議論があるわけだが、もちろんフィデューシャリーというのはどちらかというと企業年金の考え方で、それプラス多少公的な性格をもっている自主運用において、どのように制度として仕組むのかという問題がある。
厚生年金の財政再計算をどういう形でやって、予定利率はどういうふうに考えるかという当たりも極めて重要である。予定利率をあまり固定的に考えないで、市場とある程度連動する、年金の仕組みもある程度変えていくことも頭に置かざるを得ない。
(運用管理体制について)
- ○ カルフォルニア州公務員年金の場合、ジェネラル・インタレストを代表する委員会と投資委員会の2つがあったが、今回の場合、保険料拠出者と専門家の両方が参加する委員会よりも、むしろ、国の方とジェネラル・インタレストの委員会を一緒にする。それ以外に投資委員会があって、こういう形でどうですかということをガバニングする組織に投げ、またそこから色々な形で返ってくるという形である。
保険料拠出者の委員会があり、投資委員会があり、それらの契約みたいなイメージ、そこに国が仲介的な、制度の番人的な形でいるというイメージではないか。
- ○ 委員会というのは無責任になる可能性があると思っているので、基本的に委員会にやらせるというのは賛成ではない。単なるアドバイザー、極めて無責任なアドバイザーにすぎないということが普通のことなのではないか。資産運用に当たっては、現実的には責任者という人に任せざるを得ないということではないかと思う。
あまり手足を縛ると運用はできない。したがって任せざるをえないが、任せっぱなしではいけないから、何らかの格好で縛るということになるが、縛ったら良い運用はできない。ある程度任せることが必要で、委員会というようなものであまり縛るべきではないと思う。
何の縛りをかけるかというと、損切りルールだけではないかと思う。どこまで損をしたら撤退するとか、交替するとかいうのが唯一のルールと思う。あとはある程度自由にやらせざるを得ない。専門家が損をしないかというとそうではなく、損ばかりしている。なぜ損をするかというと、相場が下がる時は、みんな損をする。逆に上がるときは素人もみんな得をする。たったそれだけなので、大きな流れを読めるかどうかで、相当違う。専門家というのは長い目で見る専門家もいれば、目先でやる専門家もいるので、それらの取り合わせでやるしかない。責任者になる一人の下に色々な専門家がいて、それらがルールを作りながら、投資顧問に任せて、それらの実績を見ながら変えていくというようなのが現実的ではないか。委員会をもっともらしく作っても、現実には機能していないと思っている。
- ● 委員会については、カリフォルニア州の年金を見ても、制度全体の運営と、もう少し実践的な投資委員会の2つの委員会があるわけで、このような例も念頭におきつつ、2つのレベルで専門家になり、保険料拠出者の意見を聞く仕組みをイメージとして考えたわけである。
- ○ 国が直接運用を行うというような案は全然考えられない。運用管理機関を用いる案を中心に、当然、検討されるべきではないかと思う。ただ、運用管理機関を特殊法人とした場合、年金福祉事業団と全然変わらないこととなり、ここをどうするかということが、今回の自主運用の1つの鍵を握るのではないかと思う。
- ○ 保険料を払っている人達、特に将来の世代がどう考えるかということは非常に重要なので、将来たくさん金を払わなければならない世代の方を、相当、意思決定機関の中に入れる必要があると思う。もちろん、有識者とか色々な専門家も必要だとは思うが、どうしても“えらい会議”というのは、年齢構成が非常に上がってしまう。もらう側にいる方が多くなる。非常に心配しているのは若い世代であり、いくらまで保険料が上がるのかとか、将来、自分が払ったものに対していくら返ってくるのかとか、そういうことに対して関心が高い。
- ○ プルーデントマンというのはいい人だということではなく、専門性が高い人というふうに最近は考え方としては変ってきている。専門性が反映されている組織が、いろんな投資を決めて、実際に管理を行うというのが組織のイメージだと思うので、専門家はどこの組織にいるべきかということの検討が必要だと思う。例えば、投資顧問は受ける側になるが、頼む側にもいなければならない。専門家の定義のようなものもイメージとして必要かと思う。
- ○ 小泉大臣の年金福祉事業団が要らなくなったという論拠の1つには、やはりプロがいなかったということがあると思う。プロというのは日本にいるわけだが、現実問題として運用のプロといったら信託・生保・投資顧問であることは現実である。そういう方々に参加してもらわなければいけないが、第三者的といいながら、信託・生保・投資顧問に所属している、あるいはしていた方々を集めるしかないのが現実である。そういった方々の運用とそれを監視する者をどういうふうに位置づけるかということも配慮しておく必要がある。
- ○ 年金を加入者・拠出者のものと考えるのであれば、加入者・拠出者により最高意思決定機関メンバーが選出されるべきであろう。しかし、事実上、国(厚生大臣)がメンバーを選出することになろう。その時のロジックは何か。管理運用業務の費用を負担することに求められるのか。
(運用方法について)
- ○ 年金積立金の運用において安全性に配慮することは極めて重要である。しかし、豊富なデータに基づいた実証的な運用方法のもとで合理的なリスク管理が行える現在、運用対象を元本保証のあるものに限るという形で安全性を考慮することは、運用対象を狭め、有利性を不必要に犠牲にすることにもなる。元本保証の制約をなくし、それに代えて運用の仕組みや組織も工夫すべきであるという主張に賛成である。
- ○ 現在の株式会社制度においては、従業員等がよい仕事をし企業の活動が合理化されることによって、最も利益を享受するのは株主である。それは高い株式投資収益率(リスクに見合った以上の収益率という意味)というかたちで現れる。企業の成果を従業員が享受するためにも、また従業員を動機づける意味でも、年金が株式投資することはきわめて重要である。その意味で、広範な投資対象の1つとして株式を含めることは不可欠である。
ただし、国が受託者として管理運用業務を行う場合、銘柄選択や議決権行使については、株式会社制度に対する一般の理解を考慮すると、当面は慎重に考えるべきであろう。その意味で資料の趣旨には賛成である。
- ○ 自主運用は、公的年金である以上、ある程度客観的な基準をはっきりし、ある程度の制約をきっちりつけてやる必要がある。
(市場運用の規模について)
- ○ 基本的にできるだけ細分化して運用することが必要だろうと思う。大きなロットで効率的にやるほうが良いという考えもあるだろうが、むしろこのような資金の運用については、細分化することによって、危険分散するということが必要ではないかと思う。国全体として財投に集中するのではなく、それぞれの分野でやっていったほうが良いし、それぞれの分野で運用するにしても、そこで集中的にやるよりはむしろ委託し、それぞれの専門家に自由にやらせていって、結果として、複数の受託者を選択するというのがが現実的ではないかと思う。
政治的圧力や、非合理的な格好で資金を運用し、その結果として、資金が焦げつくというのが一番望ましくない形であるから、透明性については確保する必要があると思う。その点については情報の公開が重要であるが、相反する問題として、資金の運用を透明にする場合には、資金の供給をストップする場合も公開しなければならないが、これは難しいことである。具体的に言えば、ある金融機関がおかしくなりそうなので資金をストップするとなると、その情報そのものが金融機構そのものをおかしくするという非常に難しい問題がある。1億、10億ぐらいの小さなロットであればなんとかなるが、1兆となると金融機構全体を揺るがしかねないくらい大きな問題になる。細分化しておかないと難しい問題になるのではないか。
- ○ 1カ所でまとめて何十兆という規模の金の運用を行うという場合と、もっと分散して行うという場合があるが、これがアメリカの公的年金の市場運用案が3つに分かれた根本の問題である。今説明のあった現状維持案(MBプラン)というのは、1カ所でやろうというもので、他の案はそれに反対し、各個人ごとに個別の勘定でやらせようというものである。イギリスの場合は、日本で言えば代行部分ということになるが、企業年金の適用除外という形で、報酬比例部分の積立金の運用は各企業でやる。それで20万近くのファンドがある。どういう形がいいのか。
- ○ 私はまとめて運用するのは非常に難しいと思っている。できれば個々にやったほうが良いと思う。けれども現実的でないので、ある程度まとめてやらざるを得ないだろう。むしろ運用額が大きくはならないようにした方が良いのではないかと考えている。
年金制度そのものも規模が大きすぎるのではないか。もう少し細分化して、企業年金のようなものに持っていく方がよいのではないかという話は、運用の方からも出てくるのではないか。規模もかなり重要で、年金制度そのものを変えて行くべき方向になりうるのではないか。
- ○ 100兆というのはとんでもない金額であり、これだけでも規模の暴力だと思う。他の投資家はたまらない。しかも、ある程度限定されたマーケットにしか参入できない場合、運用の行動とか、投資配分の情報が漏れるだけで深刻な問題になってしまうと思う。1兆単位でも、かなり、頑張れば弱含みの時の株式市場の半日分くらいの動きになってしまう。
これだけの金額を運用する場合、方針を完全にマーケットに明確にしておいて、全く中立にし、マーケットに入ってくる人達は完全情報の中で商売できるということにすべきだ。どういうやり方をしても恣意的になるし、周りに対する影響はあまりにも大きいという感じがする。
年金は全国47くらいに分散して、地域ごとの会社にして投資してもらうとか、特別なことをしない限りは、他の投資家に対しても、外国に対しても迷惑ではないか。規模は大きな問題だと思う。
- ○ 100兆というのは非常に大きいが、残高ベースではかなり固定的で、実際に運用される上積みの部分はそんなには大きくはないと思う。しかし、それでも兆という金は大きい。できることなら分散したいという気持ちは私も持っている。そうしないと市場への影響もあるし、大変だと思う。
- ○ 分散のケースも2つあると思う。1回プールされた状態から分散させる形とそれぞれの企業年金のようなものがそれぞれの投資顧問を選ぶという形で、ちょっと意味が異なると思う。
- ● 自主運用の規模の問題について、我々が考えているのは、100兆を一挙に全て市場運用するとかいうことではなく、毎年の新規の公的年金の積立金増加額が6、7兆くらいであるが、この一部を市場運用にまわして、この比率を徐々に高めて行きたいと考えているわけで、いきなり巨額の資金を一挙に運用するということは、現実的にもできず、そこまで考えているわけではない。
それから、郵貯の地域分割みたいな話もあり、また、もっと確定拠出型、掛金建てに移行すべきだという議論もあるが、年金制度の見直しについては、年金審議会にこれからお願いする。これらは年金制度の根幹に触れる問題で、一挙にそういうことをやるのは難しく、今の年金制度を前提とした運用のあり方というのを現実問題として考えざるをえない。
積立金の全体の規模は120兆で、将来的には、新人口推計対応で試算すると、現在の実質的な価値で百数十兆まで増える。財政投融資制度については今後、ずいぶん変ってくると思うが、基本的には財政投融資から一挙に引き上げるということはできないわけだから、現状とドラスティックに変わることはない。したがって、現実問題としては、財政投融資が過半を占めることとなる。
そういった財投預託を含めて、運用の基本方針は年金の保険者が全体の方針としてつくる。基本方針は積立金全体についてつくるのであるが、実際に市場運用する分については、多数の生保、信託、投資顧問、それから外国の金融機関を含めて極めて広範に分散投資をするわけなので、規模が大きいから運用できないということにはならないのではないかと思う。
(情報公開について)
- ○ 年金関係のデータというのは非常にとりにくいというか、わかりにくいので、「定期的に公開」するということが今までとどう違うのか、ぜひはっきりさせて欲しいと思う。
透明性という観点から、運用実施の過程及び結果もはっきりさせる際に、当然、投資顧問単位で発表されると思うが、競争原理の点からいっても、この発表技術について配慮願いたい。
- ○ いわゆる年金制度全体の情報公開と、自主運用のケースの場合の情報公開では、ちょっとポイントが違うと思う。自主運用の場合は年々の実績がどう動いているかということであるが、年金制度は5年の再計算とか、もう少しゆっくり情報公開されるので、その間のタイム・ギャップという問題がある。それから、カリフォルニア州の年金のケースを見ても、この世界というのはマーケット・ベースで実績が出てしまうわけであるから、全体の社会保障制度が変わらないにしても、ある程度実績ベースのものが社会保障制度の中で動いているということははっきりさせないといけないと思う。
- ○ 年金のガバナンスが誰にあるにせよ、アカウンタビリティに基づく情報提供は必要である。必ずしも、対象を特定しないディスクロージャーである必要はないが、加入者、拠出者の現状を考えると、事実上ディスクロージャーということになるであろう。
(福祉施設について)
- ○ 全く違うテーマであるが、厚生年金・国民年金の金は100%財投というが、厳密に言えば違う。つまり、保養施設や厚年会館は、国共済、地共済では、いわゆる福祉運用ということでやっている。厚生年金・国民年金が自主運用ということになった場合には、これはどういう扱いになるのか。たいした金額ではないと思うが、保養施設などについて、どう考えたらいいのか。一種の運用ではないか。これを不動産投資と見るのか、一般の被保険者、受給者が楽しむためにつくっているのか、ということを整理しておく必要がある。
- ● 保養施設の問題だが、小泉大臣からも、年金福祉事業団と同じような指摘があった。そして、新規につくることはやめることにした。既存の施設、保養施設のあり方については、別途検討しているところである。
(次回の予定)
- ○ 次回(7月15日)は、事務局の方で、一応の方向として検討会の報告の骨子を作成し、それをもとに議論を行うこととしている。
問い合わせ先 厚生省年金局資金管理課
担 当 伊藤(内3348)
電 話 (代)03-3503-1711
(直)03-3501-3450
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